実存メモ50
一般的に、自由は「不安」や「対立」の原因とは考えられていない。
むしろ、西洋の歴史を見ても、自由は「肯定的なもの」として求められてきた。
しかし、実存主義の観点では、自由は「恐れ」と結びついている。
人間は「秩序のない世界」に生まれ、やがてそこを去る。
そこに「明確な大きな計画(grand design)」は存在しない。
自由とは、「自分の世界、人生のデザイン、選択、行動を自らの責任で作ること」である。
「人生の『与えられたもの(givens)』を構成する、限界と才能のパターンがある。我々は運命を消し去ることはできない。しかし、それにどう対応するか、どう才能を生かすかを選ぶことはできる。」
凡庸な存在が、何かを主体的に選べと言われても、どうしたらよいか分からないのが本当のところだろう。
少し躁状態に近い人ならば、私の人生はこれだと、選ぶことができそうだ。
鞭で打たれる奴隷状態から解放されたいのは当然だろう。
しかし現在の人間の暮らしも、2000年後の暮らしを想像して比較したとすれば、相当に不自由なものではないだろうか。
そもそも言語の内部に奴隷のように収監されている。法の内部に囚われている。他人の目の中に埋没している。自由というものも、不自由の一形態でしかないことが多い。
たとえば子供がゲームに熱中しているが、それは自由なのだろうか。むしろ不自由だと思う。